昭和44年05月18日 特別奉修委員
先ほど久留米の佐田さんがお届けをされますのに、今朝からお夢を頂いた、お夢がまぁ大変もう長いお夢を頂いておられますけれども、そのう長いお夢が何がなんやら一っつもわからないお夢だった。けれどもそのお夢の後にまたお夢の中に感じておる事がどういうことであったかと言うと、一分一厘間違いのない事だと言う事だったそうです、本当に長い長いいお夢がね。
そしてどういうことじゃったじゃろうかと思うて、今日の御理解を頂きよってから、はぁその長い長いお夢は今朝の御理解が、内容だっただろうと言う事なんですね。ですから皆さん、本当に天地の働きと言うものは、勿論一分一厘間違いのない事でございますから、その一分一厘間違いのない働きが、自分の上に頂けれれる徳を受けると言う、御理解だったですね今朝の御理解は。
信心と言う事はその天地の体得を、私共の信心によって打ち向かえば、神は倍力の徳を授けると仰る、その徳を体得を自分の身に受けると言う事だと、そういう御理解だった。ですからそのう自分の上にも、その一分一厘間違いのない神様の働きを感じられ、そしてまた頂かれるおかげを頂くために、お互いが信心精進させて頂いとる訳ですね。ところが、御神前でらせて頂きましたら、そのなんかいろんな鉄砲のようなものを振ってるんですけどもね、それがずうっと向こうまで行きよらん訳ですよね。
弱いんですなんか皆んな向こうの端までいかんならんとに、半分目位なところでストンストン玉が打ちよるという感じです、しかも的はあそこに斜め向いて打ちよる人もあるち言うごたる風ですね、そういうお知らせを頂いてから、今のははぁこれじゃ百発百中のようなおかげは受けられんということですね。私が一分一厘間違いのないというのはもう百発百中と言う様なおかげの事だと思いますよ。
そこでやはり稽古ですね、例えば稽古によって本当にあの百発百中という、それこそ神技と言われたり思われたりする様な、その技術を身に付ける事が出来る。信心もおんなじ事ですね、時々こうどころに神様ちゃ有り難いなあと思う位なおかげじゃつまらんち、もういつもいつもが神様の働きの間違いなさには恐れ入ってしまうと言う生活、そういう恐れ入ったの中から、限りないおかげを受けられるのですから、そこんところをね焦点をね、ですから第一おかなきゃいけない。
そこで私思うのに皆さんのように毎日日参される、日参組みなんかの方達なんかは、もうその日の御理解を焦点、今日の一日の生き方の上に現していく以外にない、そして結局はどういうことかと言うと、より明るくよりにこやかにと言う焦点、そのその焦点に向かって、そのまぁ今日の一日の行動在り方がですね、いわゆるその日の御理解がそこへ向かって進んでいくと言う生き方です、ですからなるほど勢いがない時に向こうまで届きません事もありますよ、まだ斜めほど向いてから射っとる事もありますよ。
そこで姿勢を正さにゃならん事が分かったり、もう少し勢い一心今朝から申しますように、私共が一心一心といいよるけれどもです、私の一心というものを確かめてみなきゃいけないってね、もう朝必ず5時起きらせて頂こうと思うとったっちゃ起きれん位な一心、朝の4時に起きろうと思うて一心を決めとったっちゃ、それがそのう起きられない位な一心、一心がそれだけね一心が出来ん事ないでしょうが、実を言うたら今日もそげん私が言うとる一心は、それ位な一心だと分からせてもろうてね。
又有り難い有り難い信心ちゃ有り難いとこういいよるけれども、信心が有り難いのじゃなくて、おかげが有り難いのじゃないかと言う事ね、そしてならその信心が有り難いと言うておっても、ならどのぐらい有り難いかとね、そすと例えば50の不平不足が起きて来ると、私共が有り難いと思うておるのは30位じゃから、20が不足になって言い寄るということになる訳ですよね。
そこでなら自分が有り難いと言うておる、その有り難いと言うものがです。この位に不安であったり心配であったり不平不足であったり、イライラしたりという、それがですねあなた方の信心の中身なのですからね。結局有り難いと思うておるのか、それを引いたら、有り難いのが残るのではなくてですね、却ってマイナスになったでしょうがいくつか、と言う様なこれではおかげが受けられんのだ。
本当のおかげが受けられんと悟らせてもらってね、そこんところを確かめ確かめすると同時に焦点を間違いなく、焦点をそこに於いてですね。そこに於いて私はその繰り返し繰り返し、稽古させて頂く行く内にです、それが勢いもある信心にもなる、同時に百発百中と言う様なですね、おかげも頂いて行けれる、そこを目指さなければ行けないということです。どうもその向こうまで行きよらん。
一日それをもう頂き続けていきよらんち、もういっちょん元気がなかけん、ストッとこうそこに真ん中で落ちよるというな感じですね、ですからそれがもう矢を射る勢いというものがやっぱ、この勢いがなかきゃ一文字に進んで行けんね、だからそこん所の私欠けておる所がね、この一分一厘の間違いのない働きを現していく事の、出来ない元だと悟らせてもろうて、おかげを受けていかにゃいかんと思うですね。
どうぞ。